読書日記①/『沢木耕太郎セッションズ〈訊いて、聞く〉』全4巻

右膝を痛め長期入院中です。取材に動き回れないので、病室より読書録をお届けします。
大鹿 靖明 2026.08.21
誰でも

 沢木耕太郎は、朝日新聞の本多勝一編集委員とともに早稲田の学生時代(1984~88年)、ジャーナリスト志望だった私にとって憧憬の的だった。ちょうど在学中、『深夜特急』の刊行が始まり生協の書店ではいつも山積みになっていたし、すでに文庫化されていた『敗れざる者たち』『地の漂流者たち』『テロルの決算』はマスコミ志望の学生だけでなく、女子大生の間でも広範に支持されていた。題材も、文章も、そして見た目もカッチョいいからだった。

 酷暑の8月、しばらく病室で無聊をかこつことになり、この機会に読もうと思ったのが、長らく自宅に積読状態だった沢木の〈訊いて、聞く〉と題した対談集全4巻。対談をジャムセッションのように位置づけ、全4巻を貫くサブタイトルを「セッションズ」としたのがまたカッチョいい。装丁のデザインもセンス良く、しゃれている。

 合計1200ページ余もあるものの、まだ痛みの残る手術直後でも、対談集ならばスイスイ読み進めることができるだろうと思って手に取り、4日で読み終えた。第1巻『達人、かく語りき』の1人目の対談相手は評論家の吉本隆明。戦後を代表する論壇の大物とどう話を弾ませるのだろうと興味津々で読み始めたところ、すぐわかるのは沢木の入念な準備ぶりである。あらかじめ、かなり調べたうえで相手と臨んでいる。田辺聖子と対するにあたっては彼女の全集の主要作品を読み、高峰秀子との対談でも彼女のエッセイを一通り読み込み、そのうえで対談の問答をあらかじめ想定したうえで相対しているのだ。何の心構えもなく、いきなり事に臨むようなお粗末なものはない。

 というのも、本人曰く、1974年にルバング島で小野田少尉が発見されたことを受けた山本七平との対談で、準備不足がたたってコテンパンにやられた苦い経験があるからだという。対談会場の料亭で供せられた料理に全く箸をつけられず、這う這うの体で退散せざるを得なかった。ご馳走にありつけるかなと浅薄な気持ちで臨んだら、まったく刃が立たなかった。セッションするには未熟すぎたのだ。

 山本七平対談における大失敗の反省からか、以来、対談にあたって入念な事前の準備をしたうえで臨んでいる。それとともに彼は対談の要諦として相手の言葉に「耳を澄ます」ことをあげる。いくら事前に想定しても、想定しうる範囲内のやり取りに終わるわけがない。話はどう転がるか予見できない。相手の話に素直に耳を傾けることで、次の展開につながる。それは予想もしなかったスリリングなものになるかもしれない。

 例えば、第4巻『星をつなぐため』の瀬戸内寂聴との対談では、大杉栄を伊藤野枝に寝取られた神近市子(戦後は社会党衆議院議員)に寂聴が「先生はやっぱり野枝がいやですか」と尋ねたところ、開口一番「ああ、野枝ね。臭かったわよ」「色が黒くて垢じみて」と答えたという。この言葉には沢木も「すごい話ですね」。すると、寂聴も興に乗り、神近に「大杉栄はどうですか?」と聞いたら「ああ、あの人は今でいうダラ幹よ。堕落してます。あのとき死んどいてよかったわよ」と返されたというやり取りを打ち明ける。

 寂聴は「神近市子さんは野枝のことを『臭い』と言ったけど、その感じがわかる。(殺害された彼女の死因鑑定書に書かれていたのは)『毛深い』でも『髪が匂う』でもなく『陰毛が濃い』と書かれているの」とも語る。こういう予想外の展開の、相手の発する言葉はやっぱり面白い。インタビューの醍醐味はまさにこういうところにある。私は、ほとんど女性作家の作品は読まないが、瀬戸内寂聴の『美は乱調にあり』『諧調に偽りあり』を読みたくなった。

 第4巻の巻末で小説家の中上健次に新宿の酒場で「沢木は眼高手低だからな」と揶揄されたことを打ち明けている。理想は高いが技量は低い、と見下されたのだ。一時の小説家から見たらジャーナリストやノンフィクション作家はそう見えたのだろう。

 その悔しさもあるのではないかと思われるが、沢木はノンフィクションから小説(フィクション)に転身した。私は小説を書くようになってからの彼には関心を失い、作品を読まなくなった。事実に立脚するノンフィクション作家が、作り話のフィクションを書くようになったらオシマイのように思えたからだ。ギリギリしたファクトを詰める大変さから逃げたように見えるし、もはやノンフィクションとして書くテーマがなくなったから小説に転向したように思える。老化には勝てないのだ。

 セッションズには、沢木耕太郎、最後の輝きがある。まるで熟練ミュージシャンによる見事な演奏の応酬を収録した名セッションである。

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