角川の悲劇②/パブリックな会社にしよう
東芝との合弁会社設立を発表したころの角川書店は、次第に売り上げが減少いていった出版界にあって、飛ぶ鳥落とすような勢いだった。このころの角川歴彦は出版界の新しいスター経営者だった。
大鹿 靖明
2026.07.20
サポートメンバー限定
もともと角川書店は敗戦直後の1945年11月、城北学園の教員だった角川源義の東京都板橋区(現練馬区)小竹町の自宅応接間で誕生した。源義は、富山県黒部市出身の源三郎の三男として生まれた。出生当時、父の源三郎は天秤棒に魚を担いだ鮮魚の行商をし、後に飯田橋で米穀卸商として財をなした。
文芸、学術のための創業、春樹の代にメディアミックス
若いころの行商時代の苦労を忘れないよう、縄止めとして打たれた釘を何度も打ち直して棒がでこぼこになるまで使われた天秤棒は、後に角川家の〝家宝〟のように扱われ、毎年の角川書店の創立記念日(源義の命日の10月27日)の式典では、必ず舞台に天秤棒が飾られた。いわば角川書店の〝三種の神器〟であり、後にこの帰属をめぐって争いが生じることになるが、それはいずれ詳述することにしよう。